義兄の「生」を受け継ぐ

2年前の7月、義兄は旅立った。進行性筋ジストロフィーという難病を抱えながら、最後まで気管切開もせず65歳まで自宅で生き抜いた。35年ほど前に姉と結婚を決めた時、医師から「10年もちませんよ」と言われた言葉を「うそつきやな」と家族中で笑った日々が懐かしい。

義兄は物静かな人だったが、療養していた病棟で「患者会」を立ち上げたこと、筋ジス患者であるがゆえに経験してきた出来事をいろんな場で語ってくれた。研究のためだと有無を言わさずお尻の筋肉を採取され、「失敗した」ともう片方のお尻にもメスを入れられた。痛くて上向きで寝られない日々が続いたことなどは序の口で、「患者の権利」はかけらもなかったことなどだった。

私はそんな話を聞いて「理不尽だ」と煮えたぎるような思いを覚えたが、彼はそんな感情は微塵も見せなかった。

先日、義兄の3回忌を迎えた。姉は『青春の架け橋~ある筋ジストロフィー症の青年の決意』という本(私も時おり登場する)を出版し、彼の思いを筋ジスと闘い続ける患者さんたちに伝えている。

たくさんの皆さんに支えられて、「最期をどう生きるか」を自分の意志で迎えた義兄の「生」から、私はたくさんのことを学ばせてもらった。これを自分の「生」にどう生かし組み込んでいくかが、彼の「生」を受け継いでいく唯一の方法だと感じている。

2020年7月25日 よう子記