PROFILE

  • 1966年徳島県生まれ
  • 徳島県立脇町高校卒業
  • 日本福祉大学第二部で働きながら学ぶ
  • 徳島健康生活協同組合に就職
  • 香川医療生活協同組合に勤務
  • 2003年香川県議会議員に初当選、4期務める

自由奔放で「人と同じ」が苦手だった子ども時代

生まれ育った徳島県貞光町は自然豊かで野山を駆け回っていました。夏は貞光川で泳ぎ、山の中に「基地」を作ったり、男子と取っ組み合いをしたりの毎日でした。何でも先頭を行くタイプの子どもでした。苦手だったのは「足並みをそろえる」こと。小学校高学年のとき鼓笛隊で全校生徒の前で「この子だけが合ってない」と指摘されたことは忘れられません。中学校では女子剣道部の創設を実現しました。「人と同じ」が苦手だったのかもしれません。

「ようがんばってきたなあ」先生の言葉に涙が

県立脇町高校に進学した時、父のDVで制服とカバンだけを持って母と家を出ました。ミカン箱を机に勉強する毎日。アルバイトで自分の机を持てた時の喜びは忘れられません。姉が進行性筋ジストロフィーの義兄と結婚。一緒に暮らす中で数センチの段差も越えられないことを知りボランティアに参加。「社会福祉の道に」という思いと「働きながら学ぶ」決意をしました。先生に相談すると「いままでようがんばってきたなあ」とすぐに奨学金の手続きをしてくれました。

日本共産党と出会い私の本当の歴史が始まった

徳島健康生協に就職した頃は高齢者の医療費は無料でしたが、だんだんと自己負担が増やされてきました。目の前の命を救えない現実に直面する日々でした。そん な時に婦長さんたちから入党を勧められました。小さい頃から悩んできた「すべての人が幸せに生きる」社会をつくるには政治を変える必要があるという答えを見出し、私自身の「本史」が始まったと実感した瞬間でした。たび重なる医療や社会保障の改悪に幾度も涙し、怒りを力にたたかい、仲間を増やしながら「命を守る政治を」とがんばってきました。

県議時代は悪政との闘いだった。今度は国政で

香川県議会議員の14年間は、給食費を払えない家庭、夫や妻に十分な介護や医療をうけさせられない、ずっと非正規の若者。議会質問では精一杯生きている人たちの姿が文章の行間に浮かび、ヤジが飛んできたらキッチリ言い返してきました。でも一番許せないのは、貧困や格差を生み出す国の政治そのもの。私が追い求めてきたのは全ての人が「生きること、幸せになることをあきらめなくていい社会を」実現することです。

「アメリカいいなりと財界のもうけ最優先」をもとから変える

四国の空をわがもの顔で超低空飛行訓練をし、幼い子どもたちが怯えていても、日本政府は米軍に抗議の一つしません。社会保障の充実や子どもの教育費無償化への願いにはそっぽを向く一方で武器はアメリカから爆買い。
財界の要求によるマイナ保険証強行の混乱や、世界で行われている消費税減税をせず、国民生活をおそう物価高騰。農林漁業の衰退をはじめローカル線廃止など四国は自民・公明政権の悪政に最も影響を受けています。こんな政治を続けさせるわけにはいきません。


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