四国から政治を変える太陽の輝きを

nishioka1989年の参議院議員選挙で国政に参加した後、1998年、日本共産党の異例のご推薦をいただいて、選挙を闘うことになった時、香川県選挙区から初めて日本共産党の公認候補として立候補されたのが白川容子さんでした。

ともに定数1の厳しい議席獲得に向けて私たちは東京の赤旗まつりにも参加し、広い会場のステージから何万人もの人々に挨拶を送らせていただいたことが昨日のことのように甦ります。私より32歳も若く明るく生き生きと輝いていた白川さんでした。

いま振り返れば、1996年10月の衆議院議員選挙で山原健二郎先生が高知1区で、四国ブロック比例代表で春名直章さんのお二人で2議席を獲得するという画期的な戦果に、ささやかながら支援をさせていただいたのですが、初のこの小選挙区制こそ、私が議席にある時、孤立無援に追い込まれながらも、最後の一人になっても反対し続けた民主主義を圧殺する悪法なのです。

この制度の成立と施工にもっとも協力した山岸章前連合会長までが、後に「小選挙区制は失敗だった」とメディアを通じて述べていました。まさに取り返しのつかない失政のシステムでありますが、このたび香川県から現職県議会議員4期目を辞して衆議院四国比例ブロックの候補者として闘う決意をされた白川容子さんの勇気を称え、必勝を心からお祈りいたします。

今やわが国は自公連立の安倍内閣の暴政を阻止するため、野党共闘の最大の推進力として躍進の日本共産党に対する有権者の信頼が日増しに高まっています。国権の最高機関である国会はもとより、衆参閉会中審査での学校法人加計学園をめぐる問題や南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊の日報隠蔽問題では、稲田防衛相が遅きに失したものの辞任に追い込まれることに。

世界に誇る日本国憲法9条に自衛隊を明記し、改憲をもくろむ安倍政権の退陣はもはや待ったを許しません。医療・福祉の貴重な体験をもとに香川県議として活躍された白川さんに、ステージを変え国政壇上での爽やかな論戦を聴かせていただけることを期待します。(元参議院議員 西岡瑠璃子)

〈2017.09.03 民主香川、愛媛民報、徳島新報、高知民報への寄稿〉