白川よう子―生い立ちから国政めざすまで

弱い者いじめが大嫌い

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(写真は、姉の夫と高校生の白川よう子さん)

【徳島で生まれ】

名峰・剣山の麓に位置する徳島県貞光町(現つるぎ町)で生まれ育ったよう子さん。幼いころから負けん気と正義感が強く、弱い者いじめが大嫌い。いじめを見ると体の大きな男子にも立ち向かい、取っ組み合いのけんかをしました。背が高く、運動会のリレーでは一つ上の学年のグループで走っていました。

大工の父と理容師の母、4歳年上の姉との4人暮らしで、「毎日がお祭りのような家庭だった」といいます。

ところが、よう子さんが高校生の頃に両親が離婚。衣類や学用品だけを持ち、母に連れられて家を出ました。

経済的に不自由しなかった生活は、たちまち困窮。よう子さんは「誰もが社会的弱者になり得ることを実感した」と振り返ります。

【ゆがみ感じて】

やがて高校の授業料も払えなくなり、就職することも考えていましたが、大学進学をあきらめられませんでした。自分と向き合い、「すべての人が幸せになれる社会をどうやったらつくれるのか」と考える中で、社会福祉を学んで解決の道を探ろうと思い定めました。

奨学金を受け、日本福祉大学(愛知県)の夜間コースに進学。昼間は水族館、旅館、ミカン農園、水産加工場などでアルバイトし、生活費をまかないました。

卒業後は徳島に戻り、徳島健生病院(徳島市)で事務職員として勤務。老人医療費が有料化された当時で、経済的な理由で治療を断念する高齢者も目にしてきました。「寝たきりのお年寄りが床ずれをつくらないようにと夜中に体の向きを変えに行っても、診療報酬は一銭にもならないのに、床ずれが大きくなって処置すれば診療報酬が支払われる。矛盾を感じました」

よう子さんは、その根底には政治のゆがみがあると考えるようになりました。

そんなとき、よう子さんを食事に誘った職場の先輩から「一緒に政治を変えよう」と日本共産党への入党を勧められました。医療や福祉を本当によくする政党が共産党だと知り、その場で決意しました。

 

香川県議4期―医療・教育・雇用に全力

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(写真は、香商連の各界一斉交渉に同席=2013年1月)

結婚し、夫の実家のある香川県満濃町(現まんのう町)に引っ越したよう子さん。娘を出産し、善通寺診療所(善通寺市)に勤めていたとき、日本共産党香川県委員会から1998年の参院選(香川選挙区)に立候補してほしいと要請されました。戦争協力の体制を構築する新ガイドラインが国会で議論され、戦争の足音を感じていました。加速する社会保障の切り捨てにも怒りを覚え、「政治の暴走を止めるために頑張りたい」と立候補を決意しました。

2000年の衆院選では、香川3区と比例四国ブロックの重複で立候補。01年の参院選にも挑戦し、3回の国政選挙をたたかいました。

【県民とともに】

高松市に移住して挑んだ03年の香川県議選で初当選。以来、4期13年の議員活動で、子どもの医療費無料化に尽力してきました。当時は立て替え払いで、何度も病院に足を運ばなければならず、保護者から「窓口負担なしの無料にしてほしい」との要望が寄せられていました。県民の運動も広がり、毎議会で「大型公共事業を拡大するのではなく、福祉施策の充実を」と訴え、医療費無料化を小学校入学前まで引き上げられました。

豪雨災害の被災地や豊島(土庄町)など県内を歩き回りました。

マンモス化で教室不足になった県立香川中部養護学校(高松市)の改修を実現させ、小中学校の少人数学級の前進にも取り組んできました。05年度まで東京都とともに少人数学級を実施していなかった香川県。06年度に一部の中学校を対象に35人学級が導入され、12年度から県内の小学3・4年生と中学1年生に拡大させました。

【青年の声聞き】

青年に寄り添い、民青同盟のメンバーと青年の生活実態を調査。アルバイトしながら就職活動を続ける学生の声を聞いてきました。09年に開設された「香川求職総合支援センター」に専門員を配置し、住宅や生活保護など求職・離職者の相談窓口が実現しました。

 

四国の隅々まで期待広げ議席獲得へ

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(写真は、つどいで決意を語る白川よう子さん=2016年11月

日本共産党の香川県議として4期13年、奮闘している白川よう子さん。5月、衆院比例四国ブロック(定数6)の予定候補者として発表され、2003年に失った党議席の獲得を目指し活動しています。

伊方原発の再稼働、TPP(環太平洋連携協定)、米軍機の低空飛行訓練など、政治課題は山積です。しかし、全国に11ある比例ブロックのうち、四国にだけ党議席がありません。白川さんは「四国の声を国会に届ける日本共産党の議席を必ず取り戻したい」と訴えています。

【戦争法廃止に】

10月19日には高松市から徳島市に入り、26人が参加した徳島憲法共同センターの宣伝に「戦争NO!」のプラカードを持って駆けつけました。市民のリレートークに続いてマイクを持った白川さんは「戦争法は黙って見過ごすわけにはいかない。廃止に向けて頑張りぬきたい」と決意を述べました。白川さんの訴えを聞き、戦争法廃止の署名に協力する人の姿もありました。

【党綱領が力に】

「野党と市民の共同を広げる候補者としても頑張りたい」と語る白川さん。7月の参院選(香川選挙区)では、共産党の田辺健一さんが野党統一候補として健闘しました。共産党に対する誤解や偏見も根強くある中で、共闘の力になったのは党綱領に基づく確認文書でした。白川さんは「綱領を広く四国の皆さんに知ってもらえるようなたたかいにしていきたい」と考えています。無党派層や保守層など、幅広い立場の人に支持を広げることが勝利のカギです。

「すべての人が幸せに生きられる社会をつくることが私の人生の大きな課題です」と語る白川さん。「四国の隅々にまで共産党への期待を広げていきたい」と力を込めました。

– 2016年11月25日から27日までの「赤旗」西日本のページに掲載されたものを編集したものです。-