沖縄戦の実相伝えるひめゆり資料館


沖縄入りした途端に梅雨明け宣言。異常な暑さの中、那覇空港から糸満市へ直行し、ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館へ。
「ひめゆり」というのは、沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女子学校の愛称でした。沖縄戦で動員された240人が沖縄陸軍病院に動員され、136人が亡くなりました。13歳から19歳の生徒たちには、一人ひとりの未来があったはずです。生き残った学生たちが一番辛かったのは、同級生の肉親に会うこと。自分たちだけが生き残ったことに対する申し訳なさとのたたかいだったとお聞きして、胸が詰まりました。
ひめゆり部隊の犠牲は、沖縄戦で日本軍が本島南部に撤退し、陸軍病院に動員されていた女学生らに突然解散命令を出し、砲弾の中に放り出した後の時期に集中しています。日本軍の作戦による犠牲であり、「軍隊は住民を守らない」が沖縄戦の教訓です。
資料館は、ひめゆり学徒隊に所属した本人らが設立し、自らが体験した沖縄戦の実相を伝えているものです。自民党の西田昌司参院議員は講演の中で、展示の説明内容を「歴史の書き換えだ」などと発言しました。沖縄戦で県民が「捨て石」にされた事実を否定しようとするのは、戦争国家づくりとそのための改憲の障害になっているからです。
歴史から学ぶことを忘れたものは、また同じ過ちを繰り返す。沖縄戦の悲劇を繰り返さないため、歴史修正主義者の策動を許さない声をあらゆる方面から上げることが必要です。
(6月22日付四国各県「民報」に掲載)