西日本から国会へ――白川よう子の歩み(下)

 「♪決して負けはしないさ…」。昨年12月23日朝、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前に、新基地建設に抗議する人たちと連帯の歌を口ずさむ白川よう子さん(58)の姿がありました。

 軍拡の最前線

 「昔は辺野古の海にもマグロが産卵に来ていた」「今日の沖縄の現状は明日の本土だと知ってほしい」―― 一緒に緒に座り込み、一人ひとりの言葉に耳を傾けます。前日の22日には米兵による少女暴行事件に抗議する県民大会に貸し切りパスで参加し、交流しました。
 座り込み後、工事に伴いサンゴの移植が行われている大浦湾をグラスボートに乗り調査した白川さん。「工期が遅れているためか、ダイバーを乗せた防衛局の調査船が毎日出ている」との説明に眉を曇らせます。
 補正予算の軍事費8268億円は辺野古新基地や佐賀空港(佐賀市)へのオスプレイ配備の整備費などにも使われます。白川さんは佐賀空港隣の広大な土地に自衛隊駐屯地の現場、オスプレイや最新鋭戦闘機が配備された米軍岩国基地(山口県岩国市)も訪れ、戦争する国づくりの最前線にある西日本の現状を目の当たりにしました。
 「沖縄にも全国のどこにも基地はいらない。沖縄県民大会で『今回を最後に』といった若者に応え、日米地位協定の抜本的改定、アメリカいいなり政治を転換する議席を勝ち取りたい」

 自民減参院も

 社会人として命と暮らしを守る出発点となった民医連。熊本と広島での懇談では、社会保障費抑制と診療報酬・介讃報酬のマイナス改定で医療機関や介護事業所の厳しい経営実態が共通して語られました。
 「利用者負担を減らし、事業所経営の安定を。医療、介護、福祉分野で頑張ってはしい」(熊本)、「参院選でも自民党を減らす流れを切らさないよう期待している」(広島)とのエールを受けた白川さんは、「新しい政治を前に進め医療、介護を守るため力を合わせましょう」と応じました。
 国政選挙への挑戦は1998年参院選から数えて7回目。演説で力を込めて繰り返すフレーズがあります。「政治を変える力は国民一人ひとりの中にこそある」。県議や候補者活動を通じて、動かないと思われた行政や制度の壁が、革の板の運動で突破される喜びを体験してきたからです。
 「手をつなぐ輪をもっともっと大きくしたい」。この思いで西日本17県を駆け抜けます。 

 (おわり)

(1月11日付「しんぶん赤旗」日刊紙・西日本のページから)