能登半島を訪れ被災者支援

 能登半島地震から7ヶ月が経とうとしている。四国3県の2次募金を預かり能登に向かった。今回は西日本豪雨災害の時に、西予市にボランティアで入っていた菅由美子さんらが、私たちの能登行きに合わせて、超党派の被災地のバスツアーを計画してくださった。菅さんは今回の震災後ずっと珠洲市でボランティア活動を続けているが、ボランティアがあまりにも足りない状態が続いている。
 揺れや津波、土砂崩れなどによって倒壊した家屋、下敷きになったまま放置されている車。珠洲市を移動中は重機もほとんど見かけなかった。万博などに引っ張られ、建設作業員が確保できず、来ても賃金格差ですぐに帰ってしまうとの話だった。
 海岸部の各地では4mもの地盤隆起で海底が露出した姿を見た。砂浜まで降りてみると、私の背丈よりも高い位置まで隆起した堤防には、牡蠣や鮑などの貝殻がギッチリ付いていて、この場所がつい最近まで海の中だったことを物語っていた。
 「能登原発」の立地予定地だった珠洲市。電力会社の金にモノを言わせた買収による住民の分断などを乗り越え、原発建設阻止の住民運動を進めてきた地元の方からお話をお聞きし、日本のどこにも原発はいらないの思いを強くした。
 輪島市の仮設住宅では、支援物資を届けながら聴き取り活動を行った。避難所や農業用のビニールハウスで自主避難を続ける方など、まだまだ仮設に入居すらできない方も含め、この国の政治の貧困を目の当たりにした。

(8月4日付四国各県「民報」に掲載)