「親権」―子を個人として尊重を

 「親権」とは親の支配権ではなく、子どもが安心・安全に暮らすための親の責務であり、社会による子どもの権利と福祉の保障であるべきです。

 私自身、長年にわたる父から母へのDVから逃れ家を出た時、支配や暴力から解放される安堵感よりも、居場所が知られてしまわないか、また暴力を振るわれたり破壊行為をされないかという恐怖感の方が大きかったことを鮮明に覚えています。
 
 今、国会で審議されている「離婚後の共同親権」制度を含む民法改正案の中身のような、居所の変更や転校、受験や進学などに別居親の許可が、あの頃もし必要であったなら、勇気を振り絞って家を出ることはできなかったかもしれません。

 子どもに重い足かせをすることが国会の役割でしょうか。「子の意向や心情を把握し尊重する」親の責務を確立し、安心できない環境から一刻も早く逃れられる条件を確保することが必要です。もちろん父母が別居したり離婚したりしても、親同士が親権を共同することに真摯に向き合い、子どもの意見もそれに同意できるのであれば、共同親権で進められることはありうる話です。しかし法案はそうなっていません。

 高校生の時、家庭裁判所でこれまでの家庭の実情やこれからどうしたいのか、私の意見を聞いてもらえ、初めて安心できる場で本当のことを話せました。その後の対応もその意見を反映したものになりました。

 「親権」の権力的発想を改め、子を個人として尊重する改訂こそ必要です。

(5月19日付四国各県「民報」に掲載)