戦争への道を決して許さないために

with bando-san沿道で白川よう子さんのポスターに出会うと心がなごみ、うれしくなります。

1989年、よう子さんは大学を卒業後、徳島健康生協に就職し、事務職として医系学生、特に看護学生対策の担当となりました。

当時、わたしは同じ部屋でよう子さんと机を並べて仕事をしていました。明るくて誠実、着実な仕事ぶり、そして何よりも聞き上手、年のはなれたわたしの悩みも聞いてもらっていたのです。患者の立場に立つ民医連の職員として今後に大きい期待をしておりました。

そのよう子さんにある日突然、香川の人と結婚すると告げられました。選挙の応援をしたその人が会うたびに成長していく様子を情熱を込めて語ってくれたのです。もう引き止めるすべはありません。よう子さんは香川の人となり、善通寺診療所に勤務し、長女が誕生しました。

やがて30代で国政の候補者(1998年7月、参院選香川選挙区・得票:92,205票)となり党大会で決意表明をする姿は今もしっかり覚えています。

その後香川県議会議員をして4期14年の活動の様子は赤旗紙上で時折知ることが出来ました。今回、衆院選四国ブロック比例の候補者として身近になったよう子さんを頼もしく少しまぶしく、とても誇りに思っています。

広島、長崎に原爆が落とされ、無差別爆撃で日本が焦土となった1945年私は国民学校(小学校)5年生11才の夏、この戦争の終わりを体験しました。

あれから70余年日本は今最も危険な政情にあると思います。アメリカに従属して戦争への道を歩み出そうとする「アベ政治」を決して許さないために白川よう子さんがこの四国からはじめて女性の共産党国会議員として活躍されることを心から願います。

〈2017.04.02 民主香川、愛媛民報、徳島新報、高知民報への寄稿〉