あの日

10年前の3月11日、その時私は県議会の議場にいた。なんとなく「揺れているのでは?」と感じた。議長から「東北地方で大きな地震が起こった模様だ」と告げられ、慌てて控室に戻りテレビのリモコンを握ったその瞬間に目を疑うような光景。車が、人が、家が、街全体が押し寄せる黒い水に飲み込まれていく・・・。

「あの日」から10年。もう10年?まだ10年?いろんな意見がある。一つだけ確かなことは、誰の身の上にも等しく10年という年月が経過したということ。どんな重さの10年だったかはみんな違う。「あの日」はそれぞれの人生に何を与え、何を奪い取ったか。いたたまれない気持ちになる。しかし、私たちはこの10年、「あの日」と向き合ってきた。

私は「あの日」から毎年、仲間とともに東北地方に通った。ボランティアの仲間と支援物資を積んだ車を半日以上走らせ、日本海側から福島県へ。自分は直接行けないからと、福島への募金や農産物などを提供してくださる皆さんの思いを運んで、遠い道のりを運転した。私たちは「あの日」から連帯することの大切さを学んだ。そしていっしょに声をあげて行動すること、それによって動かないものを動かすことができることを強く実感した。

 復興はまだまだ道半ば。こんなにも被災者や、困っている人に冷たい政治。地震列島の上に原発が置かれ、地震の度にそれを心配させることを国民に強いる政治。10年目の年に、変えようこの政治を。

2021年3月16日 よう子記