弱い立場の人の苦しみ知りぬく

AF2R8218私が白川よう子さんと知り合ったのは、私が看護師として勤務していた徳島健生病院に事務職員として採用されたときです。活動的で、入職当初から新入職員集団の中でリーダーシップを執り、目立つ存在でした。当時、私は、よう子さんに想いを寄せる青年の相談にのった覚えがありますから、きっと、‟恋バナ”もいくつかあったのではないでしょうか。
 
よう子さんは、最初は医事課(病院の受付や会計を行う事務)に配属されましたが、人間関係を自分からつくっていく積極的な姿勢が評価され、看護学生対策室の専任事務として抜擢されました。

若い看護師さんに就職してもらうために、看護学生のときから働きかけ、さまざまな活動を通して看護師のたまごとして成長してもらえるよう援助するという大変むずかしい仕事ですが、彼女は、その大きな目をきらきらと輝かせて取り組んでいました。徳島健生病院で勤務していたのは実質3年間ほどと短かったのですが、当時の職員の記憶に残る存在感がありました。
 
結婚を機に香川県に移り、今では香川県議4期目のベテラン議員です。ここまで議員として幾多の困難を乗り越えてこられたことと思います。その議席を賭して、今度は国政に挑戦する。勇気のいる決断です。

それだけに、13年間党の議席がないこの四国から、何としても国会へとの強い想いが、訴えを聞く人の心を動かします。徳島健生病院で働いていた頃の目の輝きは、さらにいっそう増しています。
 
よう子さんは、自身の生い立ちからも、医療の現場で働いてきた経験からも、一番弱い立場の人たちの苦しみもよく知っている、そして何より、住民の目線で行政をチェックし、政策提案も行ってきた、議員としての実績を積んでいます。

国会に行けば、即戦力で、四国の私たちの声を届けてくれます。日本共産党の第3の躍進の時期、今がチャンスです。四国のみんなで力を合わせ、白川よう子さんを国会に押し上げようではありませんか。(日本共産党徳島県議・上村恭子)

〈2017.04.16 民主香川、愛媛民報、徳島新報、高知民報への寄稿〉